平成28年4月14日、記憶では 21時半すこし前.. 晩ごはんも済ませ、ソファでくつろいでいた わたしと妻。
(..そのときはまだ福岡県に住んでいました)
それは、突然やってきます(@_@;)
スマホの地震警報でビックリした直後.. 食器棚が大きく揺れはじめ、なかの食器がガタガタと音をたてはじめました!
「ちょっと長いね^^; でも、すぐおさまるだろ..」
ガタ ガタ..
ガタ ガタガタガタッ
「ぅわっ! あ、あ.. 」(゚д゚;
「食器棚の中がやばい !!」
そう思った瞬間、その大きな揺れはおさまったのでした..(*_*)
「大きかったねー」妻と顔を見合わせました..
その後、続々とテレビから情報が..
平成28年(2016) 4月14日21時26分、熊本県熊本地方を震央とする地震が発生し、熊本県益城町で震度7を観測。
益城町で震度7!
息をのみました(@_@;)
実家は大丈夫か?(わたしの実家.. その益城町近辺にあります)即、両親の携帯に電話するのですが..
.. ..(@_@;) 携帯が繋がりません。
固定の電話機から実家の電話機に再び電話.. それでやっと繋がりました。
「大丈夫?..」
「大丈夫.. でも.. 怖かった.. 」母親の声.. (誰?そのときはそう思いました)
いつもとはあきらかに違う声が、地震の規模を物語っていたのです(・_・)
おそらく、これで終わった。だれもがそう思っていたと思います..
それにしても大きすぎる.. 震度7(ー_ー)!!
熊本県、ましてや益城町でこんな大きな地震が起きるなんて.. だれも想定していなかったはずです。
わたしも経験がないし、地元の年配者でも.. そんな話し聞いたことがないはず..
でも起きてしまいました(@_@;)
そして.. 翌々日の深夜
平成28年(2016) 4月16日真夜中の1時25分.. 同じく熊本県熊本地方を震央とする地震が発生!
熊本県西原村と益城町で震度7を観測。
またしても 震度7..
その結果..
一階を押しつぶして倒壊している家屋.. かつてこのような地震被害を地元で見たことはありません。
熊本はどちらかといえば台風被害が多く、重い瓦をのせて被害をふせぐといったこともあり..
それが逆に仇(あだ)となってしまったようなところも見られます。
商店街も.. ひどいです(+_+)
今回わたしの実家.. なんとか最悪の事態は免れ、現在も住めてはいます。
..ですが
二回目の地震のあと、家の家財道具はぐちゃぐちゃ.. 扉のあるものはすべて開き、中のものが飛び出し..
ほとんどすべてのモノが倒れていたそうです(-"-)
すこし揺れがおさまり、外へ出ようと玄関へ向うも.. そこへたどり着くことさえたいへんだったといいます(・_・)
それから数日間は大きな余震が続き、怖くてとても家の中に入れないため.. 車中泊が続いたようです。
その後、数カ月が経った実家の建物は.. こんな感じ。
壁の継ぎ目が両側から強く押されたように盛り上がっています。
家中のいたるとこに、このような症状が..
中の壁が強い力で押され歪みが出たことにより、クロスが剥がれかけています。
実は現在、熊本に戻ってきています。(仕事の関係もあり、福岡と行ったり来たりなのですが..)
いまなお、避難所生活をおくられている方々も多く、震災後数年が経った今でも、熊本は震災の爪痕を大きく残したままです。
ときどき不意に大きな余震がきたり.. 近県、または日本列島全体でそうした状況が続いています(・_・)
今回もそうであったように.. 正確な予測は今後も難しいでしょう..
願わくば.. 今後こうした大規模な震災は起きてほしくはありません。しかし、こればかりは自然の摂理でどうしょうもないこと..
今回偶然にも、じぶんの故郷が大きな震災にみまわれ.. 普段のあたりまえが、いとも簡単に壊れてしまう現実 をまのあたりにして(-_-)
(なんとも表現することが難しいのですが..)
不思議と.. なにか大きな気付きを得たような.. そんな気もしています(・_・)
それは、生きていくうえでの覚悟のようなもの..
普段のこれまでの平凡で慣れ親しんだいつもの生活が、いかに有り難く、奇跡の連続であったのかということに気付くこと。
そして、これからの残りの人生を”一日一生”のごとく「意識的に」悔いのないものにしたい!
そんなことを以前よりも強く感じるようになっています..
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